ギリシャ正教の僧侶と
ゴールの後、さすがに足は限界に来ていた。わずか三ヶ月の練習期間で、マラソンを走ったのだからそれは仕方がない。シャワーを浴びるために、来ているものを脱ごうとしたが、足のあちこちに痙攣が走り、思わずバランスを崩しそうになった。
着替えて、日本人走り仲間の集合場所に行く。先にゴールした川口さん、浅尾さん、加藤さんが待っていた。そこには屋台が出ていて、軽食が取れるようになっている。コーラを飲む。大量のカロリーを消費した後なのに不思議に空腹は感じない。ハムの乗ったフランスパンをふた切れ食べただけで、もう十分って感じ。考えれば昨日から余り食べていない。
四人で、自分のレースの経過と結果を披露し合う。川口さんは、途中女性ランナーと交錯し、と言うより一方的に足を引っ掛けられ、転んで負傷しながらのレースだった。それでも、僕より三十分以上前にゴールに着いていたのだからすごい。そこでまた韓国人のリムさんに会って、詳しく話をした。
「日本人走り仲間」で唯一の女性参加者である、レモラさんの到着を待って、僕たちは、マラソンメッセの大テントへと移動した。入り口で完走記念メダルを貰う。ベートーベンの顔のメダルだった。レース後、マラソンメッセはパーティー会場になっていて、参加者は自由にビールやパスタにありつける。ハーフマラソン参加の若い女性、浅子さんも入れて、僕たち六人は、大テントの中に並べられたテーブルに陣取り、ビールを飲み始めた。さすがに、マラソンを走った後のビールは回りが速かった。皆、大きな仕事を終えた後の安堵感が顔に現れている
僕はその日の夕方ケルン発六時半の飛行機で、ロンドンに戻ることになっていたので、四時に皆と別れテントの外に出た。ボンの駅に行くと、アムステルダム行きの特急列車が見えた。僕は翌日からアムステルダムへ出張であることを思い出した。一度ロンドンに戻らなくても、ここらあの電車に乗れば良かったのに、と思った。
ボンからバスでケルン空港へ向かう。途中、駅や空港には階段がある。昇りはまだいいのだが、降りるのが辛い。チェックインの際、航空会社のゴールドカードを見せたら、ビジネスクラスにしてくれた。出発まで、ビジネスラウンジで一服できる。僕はマラソンを走ったそのままの格好、上はウィンドブレーカーに下はジャージにジョギングシューズだった。その格好でビジネスラウンジに入るのは少々気が引けるが、服装コードがあるわけでもない、まあいいだろう。
ビジネスラウンジには、僕の他にもう一人だけの乗客がいた。その乗客は、ギリシャ正教の僧侶だった。黒くて長いガウンを羽織り、銀色の十字架の縫い取りのある黒い帽子を被っていた。傍らには長い杖が置いてあった。その姿でノートブックパソコンを弄っている姿が面白い。ともかく、ジャージ姿の僕は、正装のお坊さんと不思議なコントラストを醸し出しながら、飛行機の出発時刻まで、半時間ラウンジにいたのだった。(了)