オランダの言語
オランダ人はオランダ語を話す。これが、一面真実であり、他面真実でない。
ドイツで働いていたとき、社内の会議や顧客との打ち合わせは、もっぱらドイツ語だった。ドイツ語を話す僕は、自分に関係のない会議にまで、通訳の代わりによく引っ張り出されたものだ。ところがオランダでは、オランダ語を話さない人がひとりでもいると、会議を全部英語でやってしまう。例えば、オランダ人二十人に僕ひとりが混ざっているだけで、その場は全部英語になってしまうのだ。
実際、オランダ人は誰もが上手に英語を話す。事故で道路が塞がっていたとき、横を通りかかった自転車に乗ったティーンエージャーのお兄ちゃんに英語で道を尋ねた。
「Uターンして、右に曲がって、左に曲がって、そうしたら高速道路に乗れるよ。」
と彼が澱みのない完璧な英語で答えたので、僕は驚いた。オランダの学校での英語教育が優れているのだろうか。それとも、ハリウッド映画を、テレビでも吹き替えでなく字幕スーパーで放映するので、自然に英語が身につくのだろうか。顧客の倉庫でも、部長さんや課長さんだけでなく、倉庫の作業員、フォークリフトの運転手まで、英語を解するのは便利だし、感心した。
アムステルダムの顧客のオフィスに、M君という英国人のプログラマーが働いていた。彼は、オランダ人同僚との日常的なコミュニケーションを全部英語でやっている。
「オランダ語の会話が全然上手にならないんだよな。だって、僕がオランダ人でないと分かったら、相手が英語しか話さないんだもん。」
と、彼はぼやいていた。
オランダ語は江戸時代の鎖国中、西洋文化との架け橋にった唯一の言語だ。従って、当時の日本人ではかなり話されていた外国語だったはず。それが、今、日本では殆ど省みられないのは不思議な気がする。
基本的に、オランダ語は、ドイツ語の方言と言ってよいぐらい、ドイツ語に似ている。いくら英語の会議でも、話が入り組んでくると、時々オランダ語が混じりだす。ところが、オランダ語はドイツ語に似ているので、ドイツ語を話す僕には、会話は五十パーセント、書かれた文章は八十パーセントくらい分かってしまう。オランダ語の会話の後、誰かが僕に説明しようとする。あるいは、それが日本人に対して秘密の会話であるときには説明がない。いずれの場合も、僕が会話の内容を殆ど理解していることに、彼等はいつも驚く。
オランダ語を理解するために、僕は頭をドイツ語に切り替えている。つまり、オランダ語を聞きながら、それをドイツ語で発音の良く似た単語に置き換えて理解しているのだ。突然僕の喋る番になって、話し出す。ところが、オランダ語を聞いているうちに、頭のスイッチがドイツ語に切り替わってしい、自分で気がつかない間にドイツ語で話して始めていた。はっとして、話を止める。向かいのオランダ人、Lさんが笑いながら言った。
「別にそのままでもいいよ。俺たちには分かるから。」