「帰郷」

Die Heimkehr

2006

 

 

<ストーリー>

 

 子供の頃、「私」、ペーター・デバウアーはドイツのある町で母親とふたりで暮らしていた。しかし、夏休みになると、スイスの湖の畔に住む、父方の祖父母の家で過ごすことになっていた。「私」は夏の初めに、たいていは鉄道で、その切符を買う金のないときはトラックに乗せられて、祖父母の住むスイスの町へ向かった。父親は亡くなったと聞かされていた。「私」は自分が半分スイス人であることを気に入っていた。

 祖父母の家では、同じ日課の繰り返しと、静寂が支配していた。祖父は一度米国に渡ったが、ヨーロッパに戻り、各国を転々とした後、故郷のスイスに戻ったという。「私」が訪れるようになった当時、祖父母は通俗小説雑誌の編集をして、生計を立てていた。祖父母は自分たちの息子、「私」の父親について、余り多くを語らなかった。父親は法律を学び、詩と文学を好んだ。そして赤十字として第二次世界大戦に従軍し、事故死したということであった。

 雑誌の編集をしている関係で、原稿やゲラ刷りが祖父母の家には沢山あった。まだ紙が貴重であった五十年代、「私」は、その原稿やゲラ刷りを家に持ち帰り、裏面をノート代わりに使っていた。祖父母は、「私」に裏に(つまり本来は表)に書いてある、小説の原稿を読むことを禁じていた。「私」も長い間それを忠実に守っていた。しかし、ある日、「私」はその原稿を読んでしまう。それはロシアの捕虜収容所から脱走し、苦難の末に故郷に戻ったドイツ兵、カールの物語であった。しかし、結末の書かれている最後のページ、つまり「私」にとってはメモ帳の最初のページは、既にメモ書きとして使われ、捨てられていた。翌夏、「私」はその結末を知りたいがために、祖父母の本棚にある雑誌のバックナンバーを探し回る。しかし、その物語の印刷された巻は、何故かどこにも見つからなかった。

 「私」は大学に進み、夏休みに祖父母の家を訪れることがなくなる。そして、帰郷する兵士の物語のことも、いつしか記憶の片隅に追いやられてしまった。ある年のクリスマス、「私」は久しぶりに祖父母の家を訪れる。そろそろ死の近いことを悟った祖父母は、身辺整理を進めており、「私」は机やその他の物を祖父母から引き継ぐことになる。そして、「私」が祖父母を見たのは、それが最後になった。その直後に祖父母は交通事故で亡くなったからである。

 

 

 大学を卒業した「私」は、博士号の取得を目指す。一方、女友達と同棲を始め、子供もできる。しかし、ある時、「言葉」に依存した仕事や生活の全てが嫌になり、一人で米国へと旅立つ。サンフランシスコで、「私」は「言葉」に頼るのではなく、より直接的な人間と人間のコンタクトを求めて、マッサージを学ぶ。そして、マッサージ師の資格を取る。しかし、「私」はどうしても自分を米国と同化できない。そして、再びドイツへ戻ることになった。

 ドイツで、「私」はある出版社に就職し、法律関係の出版物を担当する。アパートを借りて、生まれた町の隣の町に住むことになる。「私」は、引越し荷物の箱の中から、子供の頃に読んだ、「あるドイツ兵の帰郷の物語」を発見する。「私」はその物語に引き寄せられ、読みふける。

 その小説の主人公は、カールという男。彼は、数人の仲間と一緒に、シベリアにあるロシアの捕虜収容所を脱走する。そして、何ヶ月もかけて、シベリアを横断する。彼は、その途中、力尽き倒れる。しかし、カリンカという女性に助けら、数ヶ月彼女と一緒に過ごし、体力を回復する。カリンカに愛情と恩義を感じるカールであるが、望郷の念には勝てず、彼女の元を去り、再びドイツの故郷を目指す。そして、数々の苦難の末にたどりついた故郷の町、彼は自分の妻の家のドアの前に立ち、ベルを押す。中からは妻が出てきた。しかし、その腕には赤ん坊が抱かれており、その後ろには新しい夫と思われる男が立っていた・・・

 「私」は、カールの帰郷の物語と、古代ギリシアのホーマーの叙事詩「オデュッセイア」の類似点に気づく。作者は、古代ギリシア文学に造詣の深い人物であるに違いないと、「私」は予測する。

 「私」カールの帰郷の場面に描かれている街の様子が、自分が住むことになった町と酷似していることに気づく。そして、「私」は、物語の舞台になったと思われる家を突き止める。好奇心と探究心にかられた「私」は、その家の玄関の呼び鈴を鳴らす。そこには、ひとりの女性が住んでいた。その家はずっと彼女の母親が住んでいたが、ごく最近亡くなっていた。ケニアから最近帰って来た彼女は、亡くなった母親に代わり、そこに住むようになったとい言うことであった。

 その家の住人バーバラに「私」は好意を持つ。そして、週末を彼女と一緒に過ごすようになる。しかし、バーバラは「私」に、自分にはケニアにいる時に結婚した相手がいることを告白する。その男はジャーナリストで、現在スーダンに取材に行っているという。

「私」とバーバラは、彼女の家で同棲を始める。しかし彼女の夫、アメリカ人のジャーナリストが突然帰ってくる。「私」は抱き合うふたりを横目に見ながら、黙って家を出る。

 

 

 小説の主人公、カールが帰国して、自分の妻を訪れたときに味わった失望を、自分自身が味あわなければならないのは、何という皮肉であろう。その後、バーバラは「私」に対して、ある時は玄関のドアを叩き、またある時手紙で、コンタクトを試みる。しかし、「私」はそれを拒絶し続ける。しかし、「私」は、彼女と過ごしたその町を去ることをせず、そこに住み続ける。そして、振られた自分の身の上を、自虐的に友達に話し聞かせて、自分を慰める。

 バーバラと別れた「私」は新しい生活を始める。出版社では、新しい企画が待っていた。仕事の合間や、ベッドの中で「私」は「オデュッセイア」を読みふける。そして、自分と主人公の境遇を比べ、主人公の辿った道を追体験してみようとする。

 分かれた最初の妻のヴェロニカが、十歳になる息子のマックスを「私」に託して、新しいボーフレンドと旅に出る。その間、「私」はマックスと、男同士の、奇妙な、しかし楽しい生活を送る。しかし、「私」は引き続き、兵士の帰郷の物語の作者が誰であるかを探ることはやめなかった。そして、戸籍局の資料から、一九三〇年代から四十年代に、現在のバーバラの住んでいる家に、ひとりの学生が下宿をしていたこと、その学生が後に大家のビンディンガー夫人の娘、つまりバーバラの母に求愛していたことを知る。「私」はその学生こそが、物語の作者であると直感する。

 「私」はバーバラの妹、マルガレーテを訪れる。そして、バーバラとマルガレーテの母が残した手紙を読む。その中に、下宿をしていた学生からのものが数通あった。学生はフォルカー・フォンランデンという名前で、後年、当時のナチスの宣伝雑誌に、戦意を高揚させるような文章を書いていた。そして、彼は、ヒトラーの右腕であったカール・ハンケという人物に信用されていたということであった。「私」はマルガレーテが、本当はフォンランデンの娘ではないかと疑いを持つ。「私」はフォンランデンがバーバラとマルガレーテの母に送った手紙や、彼の書いた雑誌の切抜きをコピーする。

 フォンランデンの記事の中で、レニングラード攻防戦は、「オデュッセイア」と並ぶホメロスの叙事詩、「イリアス」に描かれたトロイ戦争と比較されていた。彼は、ギリシア古典に精通していたのである。「私」は、兵士の帰郷物語の「オデュッセイア」との共通点からみても、小説の作者はギリシア古典に精通している人物、つまりフォンランデンであることを確信する。フォンランデンのその消息であるが、チェコで上司のハンケとともにパルチザンに捕らわれたが、その後脱走に成功していた、その脱走体験が、兵士の帰郷物語のネタであることは容易に想像できた。「私」はフォンランデンに関する更なる情報を得るために、新聞広告を載せる。しかし、それには全く反響はなかった。

 母親の定年の記念に、私は母親と小旅行に出る。途中、祖父母の住んでいたスイスの町を訪れる。そこで母親は、初めて夫との出会いについて語る。母親はそのときブレスラウに住んでいた。要塞化した町がソ連軍に包囲、攻撃され、陥落する様を母親は見ていた。ハンケがそのブレスラウ防衛の司令官であった。一九四四年に母はスイス人の「私」の父親とそこで知り合い恋に落ちる。母親は妊娠をする。父は町が陥落する寸前に、母親が町から脱出できるようにと、スイスのパスポートを渡す。しかし、その後、母親の目の前で、父は銃弾に倒れたということであった。

 

 

 歴史は急展開を見せる。ベルリンの壁の崩壊したことを聞いた「私」は、その歴史的な日に、歴史的な場所へと向かう。「私」は、東ベルリンの町をさまよい歩く。そして、そこに自分の子供の頃の風景を見る。数日間東ベルリン滞在した「私」は、最後の日に、大学の法学部を訪れる。ひょんなことから、その学部の教授たちと知り合いになった「私」は、西ドイツの法律についての講義を半年間引き受けることになる。出版社への勤務を続けながら、「私」は週に一度飛行機で「東」に飛び、大学で講義をする。おりしも、東西統一の機運が高まり、「私」の講義は学生たちの人気を集める。

 「私」は、東ベルリンに住むひとりの老婦人からの手紙を受け取る。彼女は、「私」がフォルカー・フォンランデンの消息を探しているという新聞広告を見て、便りをよこしたのである。老婦人は、フォンランデンが、戦後、ウィーン出身のユダヤ人ヴァルター・ショラーとの名乗り、政府機関の新聞の編集をしていたこと、そして、彼が突如として姿を消したことを「私」に話して聞かせる。

 ある週末、ベルリンからの帰りの飛行機に、「私」はバーバラと乗り合わせる。その頃、「東」の学校と提携をしたバーバラの学校は、教員の交流をしていたのであった。飛行機を降りた私はバーバラに、「私」はよりを戻してくれるように頼む。最初は反発したバーバラも、再び「私」を受け入れ、ふたりは改めて付き合い始め、再び一緒に暮らし始める。バーバラとの結婚を真剣に考え出した「私」は、戸籍局を訪れる。そして、そこで自分の母が正式には結婚しておらず、自分の正式の姓は父方の「デバウアー」ではなく母方の「グラフ」であることを知る。「私」は母親を訪ね真相について詰問する。母親は不承不承に、自分が「私」の父と正式に結婚していなかったことを認める。「私」は自分が父親の姓を名乗る資格のないことを知り、自分と父親や祖父母とのつながりが薄くなったように感じる。

 「私」は、バーバラとの結婚生活を始める。しかし、その一方で、父の故郷に住む同級生を訪ね、父に関する情報を集るなど、自分の誕生を巡る真相の究明を続ける。「私」はある日、私は出版社に送られてきたアメリカの本に眼を留める。作者はニューヨークにある某大学の法学部教授「ジョン・デ・バウアー」、題名は「法律のオデュッセイア」。父親の名前である「ヨハン」をアメリカ式に発音すれば「ジョン」となる。父親は法律を学んでいた。そして、「オデュッセイア」。「私」は、その作者、デ・バウアーが、自分の父親であるとともに、捜し求めていた小説の作者でもあることを直感する。母親は一貫して、父は死んだと「私」に言い続けてきた。「私」母親が、これまで自分に対して真実を隠していたことに愕然とする。

 「私」は母親に真実を語るように迫る。そして、母親はついに真実を語る。ヨハン・デバウアーはブレスラウでは死んだのではなかった。ふたりはそこで別れたが、父親は戦争の終わった後の一九四六年、母親を訪ねてきた。そして、しばらくの間、母親のもとに滞在し、生まれたばかりの「私」を世話した後、アメリカに向けて発っていった。愛人の元を去るとき、ヨハンは母親にひとつの条件を提案する。彼の父母に対しても自分が死んだことにしておいてほしいと。ヨハンは戦争中の行動により、戦後警察に追われており、それから逃れるためには、死んだということにして、第二のアイデンティティーを手にするしか方法がなかったのである。母親はそれを承知し、その後、ヨハンとの約束を、「私」に対しても、彼の父母に対しても守ってきたわけである。母親のもとに滞在していた数ヶ月の間に、ヨハンは少しでも愛人の後々の生活の糧になるようにと、小説を書いた。それが「兵士の帰郷の物語」であった。

「私」は、父と再会するため、バーバラを残してニューヨークへと向かう決心をする。

 

 

 ニューヨークに着いた「私」は、デ・バウアー教授の教えている大学へ向かい、偽名で彼の講義に聴講生として参加する。デ・バウアーの講義は学生に人気があった。母親と自分を捨てた父親に反発を感じながらも、法律家として、彼の講義の内容には驚嘆を禁じえない。ある日、「私」はデ・バウアーの家の玄関で、若い女性とふたりの子供を見る。それが彼の妻と子供であるにちがいなかった。「私」は、小説の主人公カールが、自分の故郷にたどり着いた後、妻の家の前で受けた衝撃を、自分でも体験する。

デ・バウアーは「私」を気に入っているようであった。「私」は彼の家に招待され、ついには、彼の私的なゼミナールに招待されることになる。その参加したゼミナールで、「私」は父親であり、大学教授であり、捜し求めていた小説の作者であるジョン・デ・バウアーあるいはヨハン・デバウアーの真の意図を知ることになるのである。

 

 

 

<感想など>

 

 これは四人の男の帰郷の物語である。

@「私」

A 父親、

B 小説の主人公であるカール、

C     オデュッセウス。

それぞれが、故郷を遠く離れ、故郷を夢見つつ、故郷への道を辿る。しかし、「故郷」は単に物理的に、生まれた場所を指すだけではない。自分のルーツを探し求め、そこに戻っていくということをも意味する。 

 ブレスラウの陥落はもとより、ベルリンの壁の崩壊から東西ドイツの統一、その後「東」が「西」に飲み込まれていく過程など、ドイツの歴史上特筆するべき事件が散りばめられている。その過程を実際に体験した私には懐かしいことばかりだし、体験しなかった方には勉強になると思う。

また、「オデュッセイア」のエピソードがふんだんに取り入られていて、この本を読むだけで、何となく「オデュッセイア」を分かったような気分になる。それだけでも、かなりの価値はある。構造的には、最初にギリシア古典の「オデュッセイア」があり、それを下敷きに、名も知らぬ作者により「ドイツ兵カールの帰郷物語」が書かれる。その作者と見知らぬ自分の父を探しに「私」も旅立つ。そして、父親がその作者であり、父親も「オデュッセイア」と同じような放浪をしていることを知る。かなり複雑な絡み合いである。「私」が「オデュッセイア」を読みながら、近所の人たち、スーパーのレジ係や、混声合唱団のメンバーなどを、その登場人物に当てはめていく件はなかなか面白い。

全編を通じて、ひとつの章が長くても五ページ。短いエピソードが連ねられているので、軽快に読めるは良い。

 デ・バウアー教授の唱える独特の受容論、「善悪は普遍的なものはなく、あくまで受け取る人による。それが証拠に、ある時代には『善』とされたことが、別の時代には『悪』になることもあるではないか」というのも面白かった。デ・バウアー教授は、自分の説を学生に分からせるために、最後には随分大掛かりな実験を試みる。それが彼の「実験」であると分かるまでは、かなりハラハラ・ドキドキさせられ、それが後半の山場となる。

 

しかし、シュリンクの物語の主人公はどうしてこうも類型的なのであろうか。「朗読者」も「ゴルディウスの輪」も、主人公は、法律を勉強した、人付き合いの下手な、良く似た性格と行動バターンを持った三十台の男性。私は(つまり筆者は)、この「帰郷」を本で読みながら、車の中ではオーディオCDで同じくシュリンクの「ゴルディウスの輪」を聴いていた。すると、話と登場人物が余りにも似通っているので、頭の中で、ストーリーが混ざってしまって困った。何故、シュリンクは、もっと違ったタイプの人間を描けないのであろうか。彼にはそれだけの力量はあると思うのだが。

また、ストーリーの展開の中で、ひとつ分からない点がある。何故、「私」は、「法学のオデュッセイア」の筆者、ジョン・デ・バウアーなる人物を、自分の父だけではなく、「兵士の帰還の物語」の作者であると分かったのか。これが分からない。

「意味深」な人物が数多く登場する。それらの人物が、物語の中で重要な役割を果たすのかと思うと、一度登場しただけで、結局その後音沙汰がないというも拍子抜けする。例えば、「私」の少年時代、祖父母の家の隣家にいたルチアという少女。「私」スカートを上げて陰部を見せて誘う。それだけ。その他、「私」の勤める出版社にアルバイトに来ていたベッティーナ。「私」との関係を匂わせながら、それっきり。「それっきり登場人物」がかくも多いと、何のためにそれだけの人物を登場させなければいけないのかと、その意味と効果について考えてしまう。

正直言って、ちょっと色々なことを詰め込みすぎ。余りにも話が広がりすぎて、かつ、複雑に入り組みすぎて、戸惑うところがあった。

 複数のプロットがお互いに独立しながらも、巧みに絡み合い、うねっていく様は、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を思い出させる。同時に読み終わった時の深い疲労感も「嵐が丘」のそれに似ている。「カールの物語」は、戦争中にウクライナで倒れた兵士と、それを探す妻の物語、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の映画「ひまわり」を思い出させた。最後のデ・バウアー教授の企画は、まさに英国やヨーロッパで一斉を風靡した、リアリティー・ショー「ビッグ・ブラザー」を彷彿とさせる。この印象からも分かるように、この小説、ちょっと盛り沢山過ぎるというのが筆者である私の結論。

 

20071月) 

 

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